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神のことばの学び 第三回

  • 執筆者の写真: アイラブジーザスチャーチ
    アイラブジーザスチャーチ
  • 2024年6月11日
  • 読了時間: 8分


       大阪の聖書学校の学生時代 当時22歳 公園で生活していた

       Iさん。クリスチャンとなり喧嘩、暴力、盗みをやめ、人生が

       180度変わって公園の希望のモデルとなりました。


       25歳でケニアツアーで韓国の宣教師チームとケニアの子供達


       


        口唇口蓋裂で誕生した長男の手術前の治療のプロセス


"だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。

イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。


「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。

わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。

あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、

あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、

炎はあなたに燃えつかない。

わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。

わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。


わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。"


イザヤ書 43章1~4節


聖書を読んでいく上で最も大切なことは


全ての場所を神様の愛で読む


またキリストの十字架で読む


これを土台にして読む時


いわゆる歴史的な背景だけではわからない


知識だけではわからない箇所も


自分たちのために神様は何を教えようとしているのかと受け取ることができます


聖書のストーリーで一人一人への存在価値の大切さを


神様はいろんな角度から語っています


そんな中で創世記とイザヤ書とヨハネの福音書では


私たち一人一人への公平な神様の姿勢は具体的です


神様の似姿に造られた私たち


その神様が私たちに高価で尊い存在であり、愛していると


その思いを改めて表現して下り


使徒ヨハネはイエスキリストを通して神の愛の究極の表現を知って


神様がどれほど私たちを愛しているか


その証拠として、実践として


神が人となり地上に来て


私たちの罪のために死んでくれたことを伝えます


私たちの価値を知るとき


私たちの生き方は変わり


私たちに与えられた隣人との関係が変わります


神様はあなたを造ってあなたを愛していますよと


言葉で伝えることはとても簡単です


話術や情熱で、ある程度人々の心に届きます


しかし、その言葉が本当かどうか


神様が本当に人を愛しているか


どれほど価値があるのか


神の愛を経験した人が


隣人と思われる人たちとの接する関係性で


その神の愛が知識や発見から感動や行動へと移っていきます


心を尽くして、思いを尽くして、力を尽くして、知性を尽くして


あなたの神である主を愛しなさい


人が神の愛を知ったら


神様にその愛で応えていく


それは祈りであり、みことばに生きることであり、礼拝者としての生活です


そして、神様が同時に私たちに問いかけるのは


神様があなたを愛しているように


あなたが愛されているようにあなたの隣人を愛しなさい


隣人は家族、親族、学校の仲間、同僚、出かけた先で出会う人たち


そばに置かれた隣人、出会う隣人


全てが神様の大切な存在であることを


それを知った人たちからその愛の関係性が広がり


本来の神様の造られた世界へと回復していくことができるのです


私の人生が大きく変わったのが21歳でした


そして、最初の隣人愛の実践は親や兄弟である家族に対してであり


大切な家族が自分の思い通りに自分のコンディションの都合で愛するのではなく


神様の大切な隣人として愛することができるか


社会生活の4年間で家族へ十分に愛を実践させてもらい


それは私が家族への隣人愛を実践することで


自分がいかに神様に愛されているかを体験するための大事な時間となりました


次の隣人は入学した聖書学校の道向かいの公園に住んでいた


ホームレスのおじさんたちでした


本当に私が自分が神様に愛されているように


ホームレスのおじさんたちを自分の親や家族のように愛せるか


もっと深く偉大な神様の愛の素晴らしさを味わうためにそのような機会が与えられました


きっかけは何か?


それは聖書学校に入り、寮生活をするようになり


冬に向かっていく中で、外で生活する


ホームレスのおじさんたちのことが気になることからでした


私はそのころ新聞配達をしていましたので


夕刊を配ると寒さを感じるようになっていました


牧師になりたい人たちが聖書学校で学んでいて


寮生活の温かい場所で守られていて


神様の愛を必要としている方達が


路上でテント生活をしている


我が家は家庭がボロボロになったけれど神様が回復させてくださった


路上で生活するおじさんたちはなんでそのような選択をするようになったのか?


私は幸せで、彼らの家族はどうなっているのか?


おじさんたちとコミュニケーションを取るために


きっかけを与えてくださいと神様に祈り求めていました


そして寮の片付けをしていると布団が与えられて


クリスマスに同級生とケーキを作って


布団とケーキを携えて


いざ、大阪市旭区の城北公園のブルーテント村に足を運びます


それがきっかけで私は毎日夕刊を配ってから


公園でおじさんたちとの交流が卒業まで続いていくのでした


おじさんたちは冬に焚き火を囲んでワンカップの日本酒を飲みます


冬の寒さ対策と過去か未来の何かを考えないようにするためか


常に酔っ払っているおじさんがいました


そのおじさんがこのブログの一番上の写真の白い服のおじさんです


私の記憶と印象では出会った当時


他のテントのおじさんにはあまり歓迎されていませんでした


30箇所くらいあった全てのテントを回っていましたが


このおじさんはキャラも強めで教会には来ないタイプかなと思っていましたが


時間を重ねて交流をしていくと


このおじさんはかつて極道にいたことを話してくれました


組で失敗して逃げることになり


見つかったら殺されるかもしれないと


帽子を被り、髭を生やして


追いかけられて見つからないようにひっそりと生活をされていました


そして、家庭も壊れ


ホームレスになったお父さんの元へと娘さんが尋ねてくるも


もう迷惑をかけてはならないと


置いて行かれた携帯番号に電話をかけることはなく


生きることを一生懸命にされていました


そして、とうとうおじさんと食事をするようになり


一緒に聖書を読み、賛美歌を歌い


だんだんとおじさんが変えられていきました


そして、人生の失敗から恐れて逃げていた生活から


帽子を捨て、髭を剃り、本来の自分の姿で生活するようになり


おじさんは神様の愛を知ってクリスチャンとなり


アパートを借りて生活再建をする決断をしました


そして一度もらった住所の記憶を辿って変わった自分を見てもらおうと


娘さんの家まで会いにいけるようになったのです


このおじさんと過ごした時間はいろんな思い出がありますが


180度別人のように優しく、笑顔になったおじさんを見ていた


隣のテントのおじさんが


「Iさんがこんなに変わるってことは神様は本当にいますね


私は無神論者でしたが私も神様を信じたいです


クリスチャンになるために洗礼を授けてください」と言われました


そして、二人がクリスチャンになると聖書学校に


一人また一人とおじさんたちが来るようになり


もはや一人では対応できなかったので


同級生や学校の先生と共に


日曜日の夕方の時間で礼拝のスタイルを設けることになりました


私が聖書学校生活3年で体験させていただいた神の愛は


自分の家族の次は家庭の事情で路上生活を選択せざるを得なくなった


おじさんたちと交流することで


神様に隣人愛の実践の機会をいただき


自分と隣人が神様の目に同じ高価で尊い価値であることを


新たな感動のレベルで味わわせていただけました


全ての人が神の目に高価で尊い


自らの価値を知り


それがより多くの人とそう関わっていけるとしたらどんな幸せでしょうか


大阪の聖書学校で学んでいるうちにイスラエル行きが始まり


私の隣人愛の対象は家族から、国内の色んな人たちへ広がり


そして世界の国々へと広がっていくことになります


神の愛は


隣人愛を行なっていくと


「互いに愛し合いなさい」と


「敵を愛しなさい」というこの二つで


全ての人たちへと神の愛が届いていくのです


自分にとっての隣人とは誰か?


そして、隣人愛は自分にとっての得意なタイプの人から


苦手なタイプの人まで


更には自分を仲間はずれにしたり


否定的な態度を取られたり


危害を加えるような人たちにまでも


その隣人愛の対象は広がっていきます


神様が私を愛しているならば


周りの人も同様に愛されている


私にとって敵対するような人でさえも


神様にとっては高価で尊い


その「敵」のような隣人は


身近な人から


どこか遠くの私の友達に危害を与えようとするテロリストまで


「敵」の範囲に収まっているとしたら


だからこそ


私はイスラエルとパレスチナの平和のために隣人となるために


導かれていくことになります


28歳になり独身で精一杯させていただいてできることから


私も結婚して家族が与えられて


長男の障害や次女の突然死を通して


更にそれまで関わることのなかった隣人の範囲が広がっていきました


妻の家族、親族、子供、そしてその仲間たち


長男と同じ病気を持つご家族、そして子供やご家族を失った方達


そして災害支援や仕事を通して新たに出会う異文化の隣人


全ての人を愛しておられる


創造主なる神の目で


隣人を見ること


これが生まれてから最期の息を引き取るまで


一人一人に与えられている人生のチャレンジなのでしょう


更にイスラエルレポート


私の体験談


そして神のことばから神の愛を求めていきたいと思います
































 
 
 

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