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復活したイエスキリスト 主の名を呼ぶ者はみな救われる

  • 執筆者の写真: アイラブジーザスチャーチ
    アイラブジーザスチャーチ
  • 23 時間前
  • 読了時間: 9分

神様の名を呼ぶだけで救われる?

そんなことがあるのか?


旧約聖書のヨエル書にはこのようなことが表現されています



"シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜り、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。


打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油とであふれる。

いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう。

あなたがたは飽きるほど食べて満足し、あなたがたに不思議なことをしてくださったあなたがたの神、主の名をほめたたえよう。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。

あなたがたは、イスラエルの真ん中にわたしがいることを知り、わたしがあなたがたの神、主であり、ほかにはないことを知る。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。

その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。


その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。


わたしは天と地に、不思議なしるしを現す。血と火と煙の柱である。

主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。


しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。その生き残った者のうちに、主が呼ばれる者がいる。"


ヨエル書 2章23~32節


更には、神様に救われるために、沢山の善行や長い時間をかけた正しい生き方や修行などが

必要だと考えやすいですが

イエスキリストの十字架刑の隣にいた罪人の神様への態度への

その答えは驚くべきものでした。

"「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。

そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。

民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」

兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出し、

「ユダヤ人の王なら、自分を救え」と言った。

「これはユダヤ人の王」と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった。

十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。

ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。

われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」

そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」


イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」"


ルカの福音書 23章33~43節


更には、父親からの遺産相続を生前分与されながら女遊びで放蕩して財産を使い果たして失った息子が行き場を失い、食べ物もなくなり、もはや子供ではなく、被雇用者として父に悔い改めて使ってくださいと懇願するその姿に

父は息子を歓迎して子としてまた迎えるその愛には神の救いの寛大さを覚えるのです


"弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。

それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。

何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。

それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。

彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。

しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。

立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。

もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』

こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。

息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』

ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。

そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。

この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。

ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。

それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、

しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』

すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。

しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。

それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』

父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。

だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」"


ルカの福音書 15章12~32節


天地を造られた神様の

人間一人一人への愛

ヨハネの福音書ではこのように語られました


"神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。


神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。


御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。


そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。


悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。


しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。"


ヨハネの福音書 3章16~21節


どんなに賢いと言われる人が極めようとしても極めきれない

神様の偉大さ、その創造の御業


それをイスラエルで最も栄えたソロモン王は

このように語りました


"あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。

太陽と光、月と星が暗くなり、雨の後にまた雨雲がおおう前に。

その日には、家を守る者は震え、力のある男たちは身をかがめ、粉ひき女たちは少なくなって仕事をやめ、窓からながめている女の目は暗くなる。

通りのとびらは閉ざされ、臼をひく音も低くなり、人は鳥の声に起き上がり、歌を歌う娘たちはみなうなだれる。

彼らはまた高い所を恐れ、道でおびえる。アーモンドの花は咲き、いなごはのろのろ歩き、ふうちょうぼくは花を開く。だが、人は永遠の家へと歩いて行き、嘆く者たちが通りを歩き回る。

こうしてついに、銀のひもは切れ、金の器は打ち砕かれ、水がめは泉のかたわらで砕かれ、滑車が井戸のそばでこわされる。

ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。

空の空。伝道者は言う。すべては空。

伝道者は知恵ある者であったが、そのうえ、知識を民に教えた。彼は思索し、探求し、多くの箴言をまとめた。

伝道者は適切なことばを見いだそうとし、真理のことばを正しく書き残した。

知恵ある者のことばは突き棒のようなもの、編集されたものはよく打ちつけられた釘のようなものである。これらはひとりの羊飼いによって与えられた。

わが子よ。これ以外のことにも注意せよ。多くの本を作ることには、限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる。

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。

神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。"

伝道者の書 12章1~14節


世界の王たちが知恵を求めにきたソロモン王は

天地を造られた神様に聞き従い


そして、ヨハネの黙示録を書いたイエスの弟子ヨハネも

実際に共に生活をして


そして福音書の締めくくりでこう語りました


"これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。


イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う。


ヨハネの黙示録しかり

創世記しかり

伝道者の書しかり

福音書しかり 


どんな学問も研究も極めることができない

表現することができない

全ての人生と世界と未来の解は

すなわち人類が得られる答えは


天地創造の神が示された

神のことばに全てが与えられています


宇宙物理学でも

今の物理的次元が存在するために

それを生み出す、支えるさらなる高次元の存在が必要と言い

パラレルワールドと言ってみたりしますが


それはこの見える地上の世界と

素粒子でも原子でも分子でもない

空間の歪みと言ってみたりするそのような次元ではなく


神様の造られた霊の実態のある次元があるわけです


霊というと何だか漠然としていて

実態のない世界のように思ってしまうかもしれませんが

天地を造られた神様は人間が霊的な存在として造られており


それを聖書で神の国と表現して

天と地で表現され

また来るべき

完成される世界を

黙示録では私たちがわかる描写で

この次元で最大限わかることに例えて

説明をしているわけです


人生の長さは人それぞれ違います


しかし

イエスキリストの十字架と

そして死を打ち破って

克服した

死による人生の終わりではない

復活の命を与えてくださった


その天地創造の主なる神により

救いを

復活の希望を是非とも得ていただきたいです













 
 
 

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