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家族の回復の証⑧

  • 執筆者の写真: アイラブジーザスチャーチ
    アイラブジーザスチャーチ
  • 2024年6月3日
  • 読了時間: 6分




五十嵐家家族回復奮闘記第8回


家庭の崩壊と回復のために


男、夫の悔い改めからはじめたい


毎日エルサレムの平和のために祈ることを


アブラハムの子孫たち


イサクやイシュマエルの子孫たちの


平和のために祈っています


信仰の父として尊敬されるアブラハムは


大変美しい奥さんのサラと結婚していました


アブラハムの失敗


またアダムの失敗から


男たち


夫たちは反面教師として


学ぶべきことが沢山あると感じてきました


ヘブライ語でベレシートと呼ばれる


ヘブライ語の聖書の


まさに一番最初の言葉「ベレシート=はじめに」が


タイトルとなった日本語では創世記と訳された


そのユダヤ人にとってはトーラーと呼ばれる


モーセ五書の中には最初の書に


天地創造と共にアダムとエバの失敗から


書かれています


その存在価値が高価で尊く造られた神の創造の夫婦が


いきなり夫婦関係が破綻します


それゆえ、互いの価値を軽んじる行為に出てしまいます


悪魔の囁きに騙され


神との約束を破ってしまいます


もしも悪魔に騙されたエバが


禁止された果実を食べるところで


アダムが止められていたら


そうはならなかった結末


エバが誘惑に陥ることを止められないどころか


アダム自らも食べてしまい


そして同じく過ちを犯しておきながら


神にその約束を破ったことを問われて


思わず妻(相手)のせいにしてしまうというリアクション


守ってもらうはずのアダムに裏切られ


神への罪を自分の責任に転嫁された


夫婦関係


それは一見何事もなかったかように見えて


最初の子供達は早速兄弟喧嘩から殺人事件に発展してしまいました


まさに人類の最初の夫婦は


家族の崩壊から始まったのでした


これまで


相談に乗ったご夫婦や


様々な夫婦喧嘩で多く見受けられたのは


お子さんがいるいないに関わらず


まさにそれが相手のせいにばかりしてしまう人間の性質からでした


美しい奥さんが与えられたアブラハムは


その美しい奥さんがいることで引っ越した先で


暴力で危害を加えられるかもしれない


そんな場面でこの人は妹だと嘘をつくこともあり


人ですからいろんな失敗があります


また、アブラハムの子孫イサクとイシュマエル問題は


アブラハムとサラの関係性から始まっています


老夫婦に子供が与えられない生活を長く送ってきたアブラハムとサラ夫妻


神様はこの夫婦に高年齢になっても子供が与えられるから


その時を待つことを語られます


しかし、サラは自分が不妊のまま人生を閉じてしまうのではないかと考え


私は産めないだろうけど


女奴隷のハガルを通じて母になれると考え


そのハガルと夫との間に子供を設けることを提案してしまいます


サラは夫に女奴隷ハガルに妻としての立場も与えてしまいました


そして、どうやらハガルが身ごもったことがわかると


不妊の本妻のサラを侮辱し見下げるようになります


アブラハムは美しく大好きだったサラにハガルとの関係性のことで指摘され


そしてサラの言葉に影響を受けて


ハガルを家から追い出してしまうことを許可してしまいます


神様の約束を信じてそれを喜ばれたアブラハム


しかし妻の声を聞いて何度も判断ミスをしてしまう夫


アブラハムの失敗は


自分の妻との間に子供が与えられるまで待てない


女奴隷ハガルを妻として迎え入れてしまう


女奴隷ハガルが身ごもったら妻を見下してしまうが


それに対応できない


そして、妻の不満を受けて


また女奴隷を家から追い出すことを許してしまう


しかしそのハガルの間違った態度の故に


家を追い出されたれ涙の祈りが届いて


身ごもったイシュマエルに対しての神様の約束を与えられ


神様はハガルに家に戻ることを導きます


後に


アブラハムとサラの間にイサクが生まれるわけですが


自分たちの判断ミスで身ごもったイシュマエルと


イサクとの関係性は逆らい、敵対することになってしまいます


あれから今も続く家族、親族のすれ違いの苦しみ


しかし、神様は十字架でその和解と平和の方法を示したのです


夫婦、家族の関係回復を考える時


妻や母に夫や父は責任転嫁することをせず


まずは自らの指導不足がないか


神様との関係性の中で優先順位が間違っていないか


そこから始めて行く必要があるのだと思います


中東問題


イスラエルとパレスチナ問題


遡れば


同じお父さんの腹違いの子供達


その子孫が今もなお


神様への不従順によって子孫へ受け継がせてしまう苦しみがあるのです


しかし、その失敗、苦しみを


神様は回復させ和解させ本来のあるべき姿へと導いてくれるのです


「悔い改め」


それは「方向転換する」という意味があります


人生の行くべき方向、生きる上での判断の方向が間違っていることに


気づいた時


私たちは方向転換=悔い改めをすることで本来あるべき方向へと


向き直すことができます


日本語で罪と翻訳された「ハマルターノ」


それは的はずれという意味ですが


本来人が生きるべき方向から的外れた状態を描写しています


人生の的外れた方向性を方向転換するとしたら


私たちはどうやったらできるのでしょうか?


新約聖書ギリシャ語の「悔い改め」の言葉には


「思い」「考え」の方向性を転換することを汲み取ることができます


私の人生や行動の判断の選択の基準となっている価値観


それがどこから来ているのか?


自己中心の価値観から


神と隣人愛を取り戻す自己愛


この三つがバランスよく存在するときに


私たちは神との関係回復


すなわち


神に不従順を選択して得た苦しみを


神との和解によってその苦しみを癒やされ


そして、その神との平和を取り戻した人は


健全な自己愛を取り戻し


そして、神に造られた隣人が自分の所有物ではないことを自覚して


神と再建した平和を


隣人との平和の回復と構築に実践して行くことができるのです


アブラハムは私たち男たち夫たちの


教師であり反面教師でもあります


神に従順したときにそれは模範となり


神に不従順したたときに反面教師となります


中東問題から


まずはアダムとアブラハムの失敗から


まず男たち夫たち父たちは


自らの胸に手を当てて


神の望む隣人愛で


妻であり、また母である


関係のあり方を考えていけるといいのだと思うのです


人のふり見て我がふり直せ


それをイエスは人の目の塵を取る前に


まずは自分の梁を取り除きなさいと語ります


人のことは大きく見える粗も


自分のことは塵だと勘違いしてしまう人間


戦争と平和への渇望と完成は


まずは自分の心と向き合うことから始めていければ幸いです






 
 
 

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