家族の回復の証⑦
- アイラブジーザスチャーチ
- 2024年6月3日
- 読了時間: 13分

五十嵐家家族回復奮闘記第7回
家族の回復
日本から中東、東アジアへ広がる祈り
弟の結婚式から込み上げる感謝と感動で
我が家の家族の回復のあと
様々な家族の回復のために
お手伝いさせていただくなかで
イスラエルとパレスチナ
ユダヤ人とアラブ人
イサクとイシュマエルの
家族の回復のために関わりが与えられて
その後に祈りを重ねてきたのが
北朝鮮の拉致被害者のご家族のことでした
五十嵐と書いて「いからし」と読む
なぜ他の人は「いがらし」で私は「いからし」なのか
新潟から大阪に引っ越して
「いか、いか」と名前をいじられた中学校1年の春
初めての県外生活で
そのあまりの言葉や食事など文化の違いに驚き
大阪生活スタートダッシュで
新潟生まれとその苗字に
自信を失いかけたことがありますが
持ち前のポジティブな性格で
転校生のいじりを乗り越えながら
それをきっかけに
私は自分の生まれたルーツや
アイデンティティと向き合うことになりました
なぜこの家族に生まれたのか?
なぜ新潟に生まれたのか?
なぜこの時代に生まれたのか?
私が慰められた聖書箇所があります
それは使徒パウロがアテネで
イエスの十字架と復活について語った
メッセージでした
引用します
以下
"そこでパウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。
私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。
この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。
また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。
神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。
これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。
私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である』と言ったとおりです。
そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。
神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。
なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。」"
使徒の働き 17章22~31節
なるほど
人の命を
すなわち私の命を造られた
創造主なる神が
親をはじめ
時代や地域や国を定められて
(確率論や気まぐれではなく、ちゃんと意志と考えがあって)
そこに計画があることに気づき
自分の生まれた家族や
出身地や
その時代さえ感謝できるようになりました
五十嵐はもともと「いからし」で
第11代垂仁天皇の八番目の王子の
イカタラシヒコノミコトから来ていることを知り
その墓はいま神社となり
三条市は下田地区(旧下田村)の
母方の実家のそばにそれがあることがわかりました
ちなみに垂仁天皇の孫が
日本武尊(ヤマトタケルとミコト)で
いわゆる日本という国の名の祖でもあることも
しれて、なお、へぇ!
ますます勉強は楽しいなとなりまして
日本のルーツもまた
調べていく気にもなりました
名前から歴史とルーツを知るきっかけとなり
弟が生まれた後
一家揃っての大移動
和歌山県に引っ越して
様々調べて聖書を読む中で
まずは自分のルーツとアイデンティティについて
理解するようになりました
そして
23歳でイスラエルとパレスチナの平和のために
初めてのイスラエル行きが実現し
二度目のイスラエル訪問で
たまたま買い付けたオリーブ石鹸がきっかけで
生産エリアを辿っていくと
ハマスのメンバーや
その親族や関係者と奇跡的に出会い
鉄砲や武器では平和はこないとお伝えして
クリスチャンとしての
聖書が願う平和のあり方を
お伝えすることができましたが
その後に人生の目標として祈り始めたのが
北朝鮮と拉致被害の解決についてでした
なぜイスラエルとパレスチナと
そして、北朝鮮と韓国の関係のために
祈るようになったか?
我が家の家族の回復を経験する中で
人と人
家族と家族
それを合わせたのが国家だと理解するようになり
その後は国家レベルの家族の回復と
国家と国家間の家族の回復と
もしも地球が一つの家だと
たとえるとしたら
DNA学的には
一人の女性から世界の人々が分かれていった
そのことも分かる時代になったからこそ
政治や宗教では難しい話も
その問題の中にいる人々は
私と同じように家族として何かの課題を
抱えながら生きている人たちだと捉えると
非常に問題や課題を理解しやすくなりました
ハマスと出会った後
私は神様に
いつか北朝鮮に行き
拉致被害者のご家族のためにお手伝いしたいと
祈っていました
なぜこんな祈りをしたのかというと
戦争の負の影響が中東にも東アジアにも
及んでいるのだと思えたからです
大好きなユダヤ人の親友が大勢いますが
その仲間たちを撲滅したい
テロリストたち
ハマスのテロのモデルが神風特攻隊であり
岡本幸三のテルアビブ乱射事件だと知ったからです
杉浦千畝の六千人のビザで
ユダヤ人に日本人は尊敬されながら
そのユダヤ人を殺し
滅亡させたいテロリストたちの
モデルが日本なのかと知った衝撃で
私は日本の次世代の
若者たちを平和に貢献できるように
人材育成していきたいと考えるようになったのが26歳でした
そのイスラエルでハマスと出会った後
日本が第二次世界大戦の後
朝鮮戦争をしなければ
もしや分断されなかったかもしれない
朝鮮半島
Koreaが一つの家族だとしたら
38度線で
NorthとSouthに分かれた
北朝鮮と韓国の関係回復と
拉致被害者の帰国を祈り始めました
すると私は2009年
日本で開催されたクリスチャンの宣教団体が
日本に一同集まった中野での世界宣教会議で
ある一人の日本人の不思議な方とお会いします
その人との出会いこそ祈りの答えでした
なんとあの北朝鮮の拉致被害者の帰国の交渉をした
その本人だったからです
祈りが届いたと嬉しくなり
北朝鮮のことについて
話を沢山聞くことができました
それはハマスと出会ってから6年後
31歳の2009年の誕生日前のできことでした
そして、なんとその拉致交渉をしたご本人が
拉致交渉をしたが故にご家族の関係が崩壊したことを知ることになりました
そしてこの拉致被害者の帰国のために命をかけて
北朝鮮を訪問して
そのことで家族が崩壊した
この方の奥さんや子供たちのために
なんとしてでもこの方が亡くなるまで
それが無理ならせめてそのご葬儀の時に集まる
家族、親族、また地域の方達に
この方の命がけの歩みを伝えたいと考えて
それから10年の交流がはじまるようになりました
袴田巌さんのことで冤罪のことを知る方が
大勢おられるように
警察や検察や裁判官も元を辿れば
人の子ですから
間違いもあれば
嘘をつくこともあり
また、分からなくて判断しにくいこともあります
そのことで冤罪として扱われる方も多いことも
またこの15年で数多く知ることになります
さて、今回これまで出せなかった一部の写真を
ここでシェアします
なぜならアントニオ猪木さんが
亡くなられたからです
写真は拉致交渉前の北京での事前ミーティングの
一コマです
拉致交渉をしたこの方は
アントニオ猪木さんと北朝鮮を訪問していました
かつて2014年に「中国から受けた愛」と題して
日本各地でこの方が講演された時に
ご自身でも北朝鮮の拉致被害者の帰国の交渉で
金正日さんの顧問のキムヨンスンさんと
拉致被害者の帰国の交渉をしたことも
話されていました
当時、アントニオ猪木さんが
小泉政権時代に拉致交渉を
金正日さんと試みるも
北朝鮮の政府はそれを取り扱いませんでした
その際に
ここに載せた写真の書がありますが
金正日さん宛に
「敬天愛人」という書を書いてもらい
アントニオ猪木さんに手渡して
金正日さんにプレゼントしましたが
交渉はしてもらえず
それでは日本には帰れないとのことで
私が出会ったこの方は
それではとのことで
金正日さんの育ての親である
顧問のキムヨンスンさんに2時間だけ
北朝鮮と日本の未来について私に時間をくださいと
粘り腰でその時間をもらえることになり
北朝鮮と拉致交渉をしました
いまだ終戦宣言できていない北朝鮮に対して
この方も戦争を止めたいので
なぜテポドンを打ちますか?とまずは尋ねました
すると他の国も海外で戦争する際に
私たちの国にこれからミサイルを打ちますと
事前報告はしてくれませんよねと言われます
そして、北朝鮮は石油を買うのに
ドルで取引しますので
武器を作って売らないと
ドルが手に入らないことを知らされて
私はこの事実を知ってから
別の方からも北朝鮮に外貨獲得のために
武器の売買以外の仕事を作ってあげないと
ならないよねと話されたことがあります
武器を作る人がいるならば
当然買う人がいるわけです
そして、当然それをビジネスにして
利益を上げている人がいるとしたら
それは非常に残念なことだと思いました
また、この方は拉致被害について
顧問と話をしました
なぜ拉致をしましたか?と
すると第二次世界大戦の話しとなります
北朝鮮の顧問は
日本も戦争時代にわたしたちの国民を
どれだけ拉致監禁して殺してしまったか
そのことの謝罪はありませんよねと言われます
そして拉致交渉したいこの方は
日本人として拉致被害者を返してもらうために
戦争時の北朝鮮にしたそのことを
心から謝罪しました
そして、北朝鮮へのお願いを伝えて帰国して
北朝鮮が拉致被害を認めるか?
それをテレビのニュースで見守り
拉致被害を金正日さんが認めてくれたことを
心から神様に感謝して
なんと
小泉元首相が北朝鮮の訪問のタイミングで
別件逮捕で
東京拘置所に拘置されて
司法取引されるも
全てを断り2年の拘置となりました
それがきっかけで家族は崩壊することになりました
奥さんや子供たちは
夫や親が犯罪者と言われるようになり
大変辛く、苦しいじきを経ることになります
家にいないことが多く
世界中を駆け巡り
仕事ばかりしていたお父さんに
家族を省みない
身から出た錆だと
捕まったのは自業自得だと
子供たちは言ってしまったそうです
それから息子たちとの関係が破綻して
お父さんとは息子二人はコンタクトを取りたくない
そのような時間をおくるようになりました
その事実を知り
私はなんとしても日本の拉致被害者の帰国に
貢献したのこのご家族の回復のために
尽力したいと切に祈るようになるのです
この方の生前に息子さんたちと手を取り合うことを
させてあげられませんでしたが
そして、それはこの方のご葬儀2019年の2月に
私は友人代表の挨拶の際に
やっとご家族、ご親族、地域の方々の前で
知られざる家庭崩壊の原因となった
その拘置された北朝鮮の拉致被害者の帰国の
ための命がけの交渉について
お話をすることができたのです
そして、いまその息子さんとの関係ができています
お父さんは犯罪者ではないよ
日本のために命がけで生きた人ですよと
それでどれだけ息子さんが慰められたか
それはわかりませんが
それ以来私と息子さんとの関係は続いています
ハマスとの出会い
福島の廃炉の完成
災害支援
北朝鮮の拉致の解決を祈りながら
これまで
私は信頼できる政治家の仲間たちを探しては
国民のことを本気で考える
まともな日本の政治家の
ネットワークの拡大を目指して
やってきたのも
多くは政治家が自分の選挙のためと
名誉のためと
利権のためには
手柄を奪い
盗み取る人もいることを知ったからでした
だからこそ
そうではないリーダーたちを今も探しています
このご家族の痛みを知り
それからまともに国民のために
やる姿勢のある政治家や政治を志すものたちと
連携したいと思ったのです
北朝鮮の拉致被害者のために祈り始め
そして、拉致交渉したその本人と出会い
その後に横田めぐみさんのお母さん
横田早紀江さんとの出会える日を夢見て
祈りを重ねていきました
そしてそれはこの葬儀から2年後の2021年に
ようやく実現することになりました
そこで横田早紀江さんに
横田めぐみさんの拉致された1977年11月15日
その翌日に私が11月16日に生まれました
私の人生の時間は
早紀江さんがめぐみさんを探している
時間と同じ期間だとわかりました
私も新潟出身の同郷で更には
互いにクリスチャンだからこそ
横田早紀江さんが生きているうちに
横田めぐみさんとの再会を目指して
私も祈りを捧げ
北朝鮮と日本との関係回復のために尽力して
できることをさせてくださいと
念願の初対面の時間となりました
東日本大震災のあと
韓国からきたボランティアの方が
私に北朝鮮と韓国との回復のために
日本の協力が必要なので助けてくださいと
言われたことがありました
そのことの意味や関係性がわからないので
歴史を調べて
それが北朝鮮の拉致被害者の
更なる帰国につながるかもしれないと捉えて
それから韓国、香港、台湾と東アジアの交流を
広げていきました
しかし中国本土の方と親しくなることは
ありませんでしたが
転機は2014年5月
中国の初代厚生大臣のお孫さんと出会います
しかもおばあさんは
クリスチャンで中国紅十字会の会長をされ
その李徳全女史を知ることになります
それから中国に行くことが実現するのみならず
なんとこの李徳全女史こそ
現在時点で中国・北朝鮮の唯一無二
最初で最後の友好協会の
会長を任された方でした
ハマスとの出会いの後
北朝鮮の拉致被害者のために祈り始め
その交渉した本人と出会い
また横田早紀江さんと出会い
中国北朝鮮の友好協会の会長のお孫さんと会い
更には
拉致交渉の際の総理大臣
小泉さんのご親族と出会います
その方もまたクリスチャンで
この北朝鮮の拉致交渉をしたあとに
日本政府が
交渉時に決めたやりかたをしないで
拉致被害者全員返還が20人程で終わり
交渉失敗になったそのことを
小泉さんのクリスチャンのご親族と
日本の国の失敗と
そのことで踏み台になり
傷ついたご家族の回復を共に祈ることができたのでした
そしてなぜ日本政府が拉致交渉に
失敗したのかも横田早紀江さんに
お話しすることもできました
日本はもしも外交で失敗したとしても
悔い改めて再挑戦していけばいいのです
戦争被害
災害被害
拉致被害
様々そのことで苦しんでいる一人一人
またご家族
子供のことを思うと
私たちは対岸の火事として
見て見ぬふりして
自分だけ安全な場所に住み
うまいごはんを食べたいと
とてもは思えないです
能登半島の災害支援にいくと
なぜか食欲が抑えられます
なせなら、私よりも
大変な方々とお会いすることになるからです
私は北朝鮮の拉致交渉をした方と
李徳全研究会を立ち上げて今に至ります
それは日本と中国の平和友好と共に
日本と韓国
日本と北朝鮮
日本と台湾や
東アジアの平和友好のために
活動していくためです
そしてそれがシルクロード沿いに
西に西に平和を目指して
愛の津波が
人を殺す戦争に負けないで
人を生かす平和交流を願う人たちと
手を取り合いながら
この東北から
この福島から
このいま私がいる
まずはいわきから
人の命を奪った津波の痛みを忘れずに
人に命をもたらす
隣人愛の波が起きるように
今日もまた
仲間たちと祈り
家族と祈り
事業のコアメンバーと交流して
一歩一歩目標に向かって
与えられた命を大切に
生かされていきたいです
バタフライイフェクション
一人一人の力は小さくても
必ずやそれが合わさる時
奇跡が起きると信じて
本日も必死に歩みたいと思います








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