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エルサレムの平和のために祈る イスラエルレポート①  序章

  • 執筆者の写真: アイラブジーザスチャーチ
    アイラブジーザスチャーチ
  • 2024年6月3日
  • 読了時間: 12分

更新日:2024年6月6日


          ガザが見えるキブツから

         エルサレムの新市街のシューク(市場)の夜

         エルサレムの障害者施設から見えるエルサレムの眺め

         エルサレムにある大統領邸にてニックさんと日本チーム



2024年5月27日〜31日までイスラエル訪問させていただきました


昨年2023年の10月17日にイスラエル大使館を訪問させていただいた際に


クリスチャン政治団体オリーブの会の創設者としてイスラエルに対して


テロ被害者の方達への追悼とイスラエルとパレスチナの


平和的解決に向けての聖書的な立ち位置から声明を出すことになりました


その後、イスラエル訪問を計画していましたが


2024年2月の訪問計画が航空会社の都合で変更となり


5月下旬の渡航の運びとなった次第です


それもこのような状況ですから実際に行けるかはギリギリまで


誰もわかりませんし


予定しているスケジュールもキャンセルや変更になることも想定していました


渡航が実現したとしたら


今回の訪問の目的は、エルサレムの平和のために祈ることを大前提に


エルサレム国家朝餐祈祷会への参加

イスラエル大統領との面談、交流

テロ被災地への慰問

イスラエル現地支援団体や関係者との交流でしたが


現地に到着して仲間たちのコーディネートの努力があって


様々な交流の機会や予定になかった素晴らしい交流の機会が与えられましたので


今回のイスラエル訪問を経て信仰的に学んだこと


気付かされたことをレポートと共にシェアしていきたいと思います


イスラエルへのハマスのテロ行為により戦争状態へと悪化していきましたので


イスラエルに現地の友人たちがいる者としてこのような緊急事態だからこそ


痛み、苦しみの中にある方達への元へと行くことが許されるのは感謝です


なぜ、今もなお聖書にあるエルサレムの平和のために祈り続けるのか?


詩篇 122篇(旧約聖書:タナッフ:ケトビーム)1〜9節


"人々が私に、「さあ、主の家に行こう」と言ったとき、私は喜んだ。

エルサレムよ。私たちの足は、おまえの門のうちに立っている。

エルサレム、それは、よくまとめられた町として建てられている。

そこに、多くの部族、主の部族が、上って来る。

イスラエルのあかしとして、主の御名に感謝するために。

そこには、さばきの座、ダビデの家の王座があったからだ。

エルサレムの平和のために祈れ。

「おまえを愛する人々が栄えるように。

おまえの城壁のうちには、平和があるように。

おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。」

私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。

「おまえのうちに平和があるように。」

私たちの神、主の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。"


私たちは見返りが欲しくて祈るのではなく


イエス様が十字架にかけられた後復活して天に上げられ

やがていつの日かこのエルサレムに再臨されて

平和を完成されることを知っているからです


ダビデ王の詩篇の祈りは何千年と


イスラエルの民をはじめ


そして、その聖書の約束のメシアであるイエス(ナザレのイエシュア)を受け入れた


接木されたイスラエルの民、神の民たちによって


祈りの火は消えることなく継続されています


今回、2015年にオリーブの会を立ち上げることを神様から示された


創設メンバー二人で2023年10月7日のハマスによるテロがあったからこそ


この大変な時期に願わくばイスラエルの現地で


エルサレムの平和を祈る機会を求めてきました


そして50年イスラエルのユダヤ人のために支援活動をされてきた


ブリッジスフォーピースの日本支部の方達と


エルサレムで開催される国家朝餐祈祷会に参加する流れになりました


元々、このカンファレンスがあってもなくてもエルサレムで祈ることを求めて


イスラエル行きを祈り求めてきましたが


信仰の仲間と共に祈りを重ねて


ようやくこの渡航が実現しました


さて、パレスチナ自治区暫定政権のハマスのテロとイスラエルの国家の対応は


聖書の歴史と現代の政治とそれぞれの信仰のあり方を踏まえて


冷静に祈りを捧げていきたいものです


ハマスはテロを行なっており


イスラエルの犠牲者は一般市民であり無差別に殺された人たちで


それに対して現代の国を守る政府が正当防衛として対応してきた約8ヶ月


その正当防衛を行き過ぎと国際世論の声がありながらも


ユダヤ人撲滅を願うテロ組織と


歴史でホロコーストやユダヤ民族滅亡の危機を何度も経験してきた


ユダヤの民の苦しみの中で


全ての難しい背景を置いてしまえば


一言でいうならば無差別のテロの犠牲にあった一般市民の方達


イスラエルのテロや争いや戦争はその現実をしっかりと知っていくことが大切です


私たちは現地で活動する支援団体の協力で


安全確保の中で今回ガザからテロリストたちが到達した町とキブツを訪問することができ


テロ発生当日の動画を見せてもらうことになり


またこの20年のテロリストとの戦いの過去もお話を聞かせていただくことになりました


現代の政治や宗教的な視点のみで一言では語り尽くせない


イスラエルとパレスチナの歩み


パレスチナ自治区とパレスチナ国家案で揺らぎ続ける国際政治


時代ごとに立たされる国のリーダーによって揺れ続けるこのテーマの平和的解決


このレポートでは


ユダヤ人の友達と24年の交流をしながら


そのユダヤ人を愛せない、殺してしまいたいハマスのメンバーと


26歳の時に直接に出会って対話した


その経験が与えられたからこそ


私なりに感じている


「エルサレムの平和の祈りの勧め」を書いていきたいと思います


イスラエルのこじれの発端それは


1948年のイスラエルの国家としての再建が原因と考える人が多いですが


本当にそれだけが原因でしょうか?


イギリスの三枚舌外交が原因で


近代のシオニズム運動が問題だと考える人たちもいるようですが


本当にそうでしょうか?


本当にそれだけでしょうか?


聖書を遡って読んでみると


究極的な平和を選択できない理由は


私たちの神様との関係破綻にありますが


民族的なその関係のこじれの発端については


創世記のアブラハムとサラ、アブラハムとハガルの子供達に戻って考えられます


私のブログの家族の回復の証⑧でこのことを親族問題の


観点でも書いてありますのでそちらをご覧ください


(以下の青いボタンをクリックで記事が見れます)




アブラハムの腹違いの兄弟イサクとイシュマエル


天地を造られた神様は


イサクには父アブラハムを通じて約束された土地と子孫の繁栄


神の約束を待てずに女奴隷のハガルとの間に設けてしまった子供


イシュマエルにも神様は民族の繁栄を約束するが


ここで目を背けてはならない現実は


神の約束を待てなかったその結果として


イシュマエルが兄弟イサクに対して逆らい、敵対することを神様に許されます


神様との関係で選択したその結果が自らに返ってくる


蒔いたタネを刈り取るとはまさにこのことで


ユダヤ人の祖イサクと


アラブ人の祖イシュマエルとの関係のこじれは


互いに謙って神を中心にしない限り


平和は実現しない厳しい現実を突きつけられ


その子孫たちの歴史は今もなお繰り返しているのです


しかし、聖書の約束のメシアであるイエスを受け入れた


ユダヤ人(メシアニックジューたち)とアラブ人たち(アラブ人クリスチャン)は


平和を手に入れて愛し合うということを実践しています


(※ハマスの創設者のヨセフ・ハッサンはテロをやめてクリスチャンとなりました)


では聖書の神様の信仰に立っていない人たちはどうかというと


もちろん、民主主義や人道主義で良心的な方達は平和を求めており


また、それぞれの関係性で平和を実現している人たちも大勢います


平和を願う人たちの「一時的な」平和の関係性はいつの時代も実現していますが


恒久的な、永遠の、または完成される平和を求めるときに


全ての争いや戦争を終わらせることができるのは


預言書、福音書、パウロの手紙、黙示録で連動する神の約束をみるときに


神が人となったイエス・キリスト

(旧約聖書で預言されているナザレのイエス=当時イエスという名は一般的だった)が


王の王、主の主としてこの地上に再臨されて


新しいエルサレムが完成する日であることを知るのです


神が造られた天と地が


新しく創造されて完成する日が来る


そして、それを神様は決して遅らせているのではなく


一人でも多くの人が神との関係を回復して


やがて完成する神の国に入れる日を待ってくれているのです


私たちオリーブの会は2023年の10月17日のイスラエル大使館と


今回訪問したイスラエル大統領やイスラエルの国会に


エルサレムの平和の完成をイエスキリストの福音の完成と共に実現することと


黙示録にあるようにイエスキリストの再臨によって実現する信仰にあることを


声明文でお渡しすることができました


なぜでしょうか?


歴史を振り返りますと


神を信じた民の従順と不従順の歴史が見て取れますが


アダムとエバ


アブラハムとサラ


そして聖書の登場人物の歩みは良くも悪くも


私たち一人一人がそこに投影されています


人の振り見て


我が振り直せ


良きところは学び


真似してはならないところを避けていく


人間の愚かさと失敗の歴史の中で


私たちはそれでも愛してくれる神の憐れみを見出すのです


福音の完成によってエルサレムに平和が訪れる


そしてエルサレムの平和の完成は


人類の繰り返してきた争いと戦争の終わりでもあります


だから、イエスキリストの福音の完成による


エルサレムの平和の完成を祈り求め


そしてそのために「平和を作る者は幸いだ」と教えてくれた


キリストイエスの隣人愛をコツコツと実践していきたいのです


ユダヤ人で聖書のエキスパートであり律法学者であった


イエスを信じた使徒パウロが


ローマの教会に書いた手紙の中で世界史を端的にまとめて


イスラエル人が


2000年前イエスキリストの十字架の意味を理解せず


つまづいて


それで世界の民族や国々に


神の救いの福音が広がったことに


自ら気づき、人々に教えています


以下


"では、尋ねましょう。彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。

絶対にそんなことはありません。

かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。

それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。

もし彼らの違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、

彼らの完成は、それ以上の、どんなにかすばらしいものを、もたらすことでしょう。


そこで、異邦人の方々に言いますが、

私は異邦人の使徒ですから、自分の務めを重んじています。

そして、それによって何とか私の同国人にねたみを引き起こさせて、

その中の幾人でも救おうと願っているのです。

もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受け入れられることは、

死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。

初物が聖ければ、粉の全部が聖いのです。根が聖ければ、枝も聖いのです。


もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、

あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです。


枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ、とあなたは言うでしょう。

そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。

高ぶらないで、かえって恐れなさい。


もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。

見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。


彼らであっても、もし不信仰を続けなければ、つぎ合わされるのです。

神は、彼らを再びつぎ合わすことができるのです。

もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。


兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。

それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。

その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは

異邦人の完成のなる時までであり、

こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。


こう書かれているとおりです。

「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。

これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。

それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。」


彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、

神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。


神の賜物と召命とは変わることがありません。


ちょうどあなたがたが、かつては神に不従順であったが、

今は、彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けているのと同様に、

彼らも、今は不従順になっていますが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、

今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。


なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、

すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。


ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。

なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。

また、だれが主のご計画にあずかったのですか。

また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。

というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。"

ローマ人への手紙 11章11~36節


さて、今回は


エルサレムの平和のために祈るとは


イエスキリストの福音の完成を願って実践することで


平和は完成するという視点で


エルサレムの平和の完成が実現する時には


世界の争いと戦争が終了する時となるので


その平和の完成のためのイエスキリストの再臨のために


私たち人類ができることをコツコツと


継続していけたらと願うのです


それでは


レポート第一回目以降


イスラエル訪問の細かな出来事を報告していきます


イスラエルとパレスチナの平和のとりなしを求めて


私なりに受け取ったことを表現していきます。











 
 
 

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