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エルサレムの平和のために祈る イスラエルレポート⑥

  • 執筆者の写真: アイラブジーザスチャーチ
    アイラブジーザスチャーチ
  • 2024年6月17日
  • 読了時間: 6分

更新日:2024年6月18日

イスラエルレポート第六段は


前回のスデロット市に続いてはクファル・アザです。



2023年10月7日のテロ発生の日に幾つかの地域が同時に被害に遭っていました。


その一つがこのキブツです。


ガザと長年友好的に交流してきたキブツの方達。


かつては自転車でガザの海まで海水浴に行っていたそんな友情関係が


この20年でテロの頻発によってだんだんと難しい関係となり


そして、とうとう昨年の10月7日にイスラエルとパレスチナのガザの住民とに


大きな亀裂が生まれる、信頼関係を破綻させる悲劇が起きてしまいました。


それは予告なしの無差別テロ。


空から陸から突然70人ほどのテロリストと化したガザの「隣人」たちが


突然、友情関係から敵対関係の対応を取ってしまったのです。


70人以上の死者数に及び、多くの人質も連れて行かれて


今だに人質となった方達は戻ってくることができていません。


そこで、テロ発生当時たまたまドイツにいて


離れた場所からご自身の住むキブツの住民たちと連絡をとりながら


そのテロの対応をされた婦人とお会いすることができ


テロ発生時、またテロ直後のお話を聞かせていただくことができました。



※目視でガザが見えます。陸路でテロリストが来た場所。

       ※テロにより破壊された住居群 

        ※テロで亡くなられた方達のことを忘れません


         ※テロ対策のミサイルの破片

          ※テロで撃ち込まれた爆弾


このキブツでは20年間テロが始まってから


爆弾やミサイルとそれに迎撃するミサイルの脅威の中で生活をされてきていました。


ミサイル同士が飛び交う中でも不安な方達は多いのに


とうとう、どこかの誰かが対象になっていたテロの被害が


このキブツが当事者となる事態にまで及んでしまったのです。


案内をしてくださった方の家の前には武器庫があり


そこでテロリストと向き合った自衛団の人たちは全員命を落とすことになり


平和なキブツは一気に緊急事態、戦争状態へと突入しました。


テロリストに占領されたのが五日間。


自衛団が対応できなくなり


多くの子供から大人たちまで見るも無惨な残虐的な殺戮に遭遇します。


そこでイスラエルの自衛軍が救済に来るも


いつ終わるかわからない日々


なんとか住民が自分たちの住まいに帰ってくることが可能になったのが五日経った後です。


自然災害も予告なしに突然発生しても


それはわずか数分か長くても数時間のことですが


戦争やテロの対応は何日も、そして何ヶ月も、何年もかかってしまうのですから


本当に生死と向き合う苦しい日々です。 


しかし、なぜここまでテロの大虐殺が拡大してきたのでしょうか?


家族の回復のブログにも書きましたが、アダムとエバの犯した罪の性質を受け継ぐ


私たち人類


そして、更に、アブラハムの異母兄弟たちのすれ違いとこじれが発生し


それは民族の拡大と子孫の発展と歴史の積み重ねの中で


治ってはぶり返しながら20世紀に再びそれは炎上し始めるのです。


テロの発端を少し振り返ってみたいと思います。


テロの発端は第一次インティファーダに遡ります。


シオニズム運動と呼ばれるユダヤ人、イスラエル人の帰還によって


パレスチナの人たちの間に軋轢が生まれていくわけですが


1987年のイスラエル占領下の


パレスチナ人のイスラエルに対しての反対のリアクションでした。


最初は投石に始まり、タイヤを燃やすなどしてイスラエル軍に立ち向かい


それはやがてテロ組織ハマスの結成やジハード(聖戦)などの


動きへと変化していくのです。


そして、インティファーダと共に立ち上がったのは


イスラム抵抗運動の頭文字を取って名付けられた「ハマス」であり


その創設者がヤシンでした。


私は2001年にイスラエルを初めて訪問することになったのですが


2003年に2度目のイスラエル訪問をした時が


なんとハマスの創設者のヤシン氏がイスラエル軍の攻撃によって亡くなったのでした。


いわゆる第二次インティファーダの時期となり


イスラエルのテルアビブ空港に到着するとイスラエル当局に


「あなたはいったいどんなタイミングでイスラエルに来たのかわかっていますか?」と


尋ねられたあのやりとりは今もなお記憶に新しいです。


もしも、そんな大事態が発生すると知っていたら


イスラエルに行っていたかは分かりません。


しかし、たまたまイスラエル行きのフライトを取って到着した日が


そのハマスの指導者ヤシン氏が殺された翌日だったのです。


この2度目のイスラエルツアーは動画ページの一番上にあります。


しかも、なんとそのツアーでこれもたまたま


パレスチナ地区のハマスのキャンプのある場所を訪問することになったのです。


私にとってイスラエルを愛するとは


まずは身近なイスラエル人の友達と仲良くすることでありました。


そのイスラエル人がテロリストによって殺されている。


ならば、彼らを憎み、彼らを敵と考えるアラブ人たちと


そして願わくばテロリストの方達と対話できないかと考えていると


まさかで、そのような機会に遭遇したのです。



あれから20年。


イスラエルに何度も行き来しながら


2024年今年テロの被害者たちと交流し、テロ被害の場所を訪問することになりました。


ブログにも書けないことがたくさんある中で


おおよその痛みと悲しみを共有させていただいて


日本からいくらかでも助けとなれたらと願わずにはいられません。


ガザの戦闘状況を報道で確認しながら


日本人として日本から一体イスラエルとパレスチナの和平のために


どのような具体的な対応ができるのかと考える日々です。


WWJD


What would Jesus do?


イエスさまだったらどうされるだろうか


私の人生の問いは常にこれです。


テロをしてしまう人たち


それに巻き込まれる一般のイスラエル人


そして戦争となり民間人を盾にしてしまうテロリストの対応で


イスラエル防衛軍の攻撃でまた被害を受ける一般住民


やまないテロと自衛


巻き込まれる一般住民たち


被害者や難民の受け入れを世界各国はどう対応していくことができるでしょうか


完全な愛は恐れを締め出す


聖書の示す人類が可能とする愛のレベルは


恐れを克服できるものであると励ましています


経済支援


人道支援


そして、福音宣教支援


あらゆる角度からイスラエルとパレスチナの和平のために


自分たちから出きることをはじめて行きたいものです


今だに帰らぬ人質の方達


そして、繰り返されているガザ戦争があるのです。


聖書には戦争や争いの終焉のことを約束してくれています。


エルサレムの平和のために祈る


このことを真剣に突き詰めていく時


私たちは平和の完成の希望を手にいることができるのです。


今もなお、真の平和を手に入れたイスラエル人とアラブ人たちは


互いを敵とみなさず


互いを友として、家族として受け入れ合っている人たちは増えているのです。


自然災害の少ないイスラエルは戦争で苦しんでいます。


がしかし、イスラエルでもテロより自動車事故の死者数が多いですし


世界中は文明の利器である自動車事故をはじめ


自死や中絶などで亡くなる方達が多いことを忘れてはいけません。


EXPLOSIONとIMPLOSION


外なる崩壊と内なる崩壊


どんな形であれ


突然、予告なしに命を失う家族のことで傷んでいる人たちがいることを


忘れることはできません。















 
 
 

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