エルサレムの平和のために祈る イスラエルレポート⑤
- アイラブジーザスチャーチ
- 2024年6月13日
- 読了時間: 5分
更新日:2024年6月15日
テロ被害のあったスデロット市訪問


※写真はスデロット市の空爆で更地なった警察署跡地

※スデロット市の市民センター

※シェルターで開催されたテロ被害者の体験談シェア

※スデロットから見えるガザの様子
イスラエル訪問で衝撃を受けた場所が2箇所ありましたが
一つはスデロット市です
イスラエル支援団体がテロ発生前から支援を展開していた地域が
まさにテロの被害に遭遇する場所となっていました
日本から届いてくるテレビやネットからのイスラエルとパレスチナ
とりわけガザのニュースは全世界が心を痛めています
聖書を読んでみると古くの昔から出てくるガザ
ハマスの政治的支配がガザを統治していってからうまくいっているのかと
遠くからわからないまま
20年前にハマスと出会った頃を思い出していました
ハマスの創設者の息子ヨセフス・ハッサンは神の愛に気づき
旧約聖書でもモーセ五書すなわち創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記は
ユダヤ人とクリスチャンと同様にイスラムの人たちも大切にしているわけですが
その神の約束のメシアがイエスキリストだと信じて
そのハッサンはテロをやめてクリスチャンとなったのですが
そのころにハマスの関係者やパレスチナ地区でユダヤ人を殺害している
リーダーの親族や関係者とも奇跡的にお会いすることになり
武力によらない平和を語り合い、お願いしたわけです
あれから20年
世界に衝撃を与える無差別テロでまた世界の注目を集めてしまいました
教会の働きをしているとグレた子供達や元極道の方達とお会いすることは
普通のことです
グレた子供が親や大人に愛して欲しいと言わんばかりに
意識的にも無意識的にも自分に注目を向けているように
パレスチナ地区のテロ問題は
程度がかなり違えど
それと毎回重なるのです
かつてハマスと出会って帰国してから
イスラムの専門誌の編集長と対談した事がありました
イスラムがどうのではなく
どこの国もテロはしてはなりませんよね?
しかも、テロリストにさせられる人たちの家庭環境や経済状況
また教育環境を調べてあげると
テロリストにならざるを得なかった状況が見えてくるのでは?と
お話ししたこともありました
日本の仏教や神道
ヨーロッパのキリスト教と同じで
生まれた母国の文化として宗教的な習慣に生きて
平和を願っている人たちはイスラムにも当然沢山いるわけです
日本もアメリカもイスラエルもパレスチナも
極々稀な過激派のテロリストがその国や地域を代表しているとなったら
その通りだと言える国や地域はほとんどないでしょう
しかし、今ガザにおいてはテロを肯定できるハマスの自治が現在進行形で
行われてきたことも事実です
日本から見るメディアで政権がネタニヤフであれ誰であれ
スデロットの現地でこの度の当日のテロの被害を見るまでは
私もイスラエルを愛し、イスラエルの友達が多くても
政治的にはやりすぎかもれないとそう思っていました
ところが、現地の当日のテロ映像をいくつも見せてもらうと
もしも自分が首相だったら無差別テロが行わている現実で
指を咥えて何もしないということもできないのだと現実を突きつけられました
その動画は町に設置された防犯カメラで
ある黒い民間人の車がロータリーを回ってターンしようとした時
テロリストの車が奇襲して
家族が乗っていた車のドライバーのお父さんが銃撃されたのです
その戸惑う子供さんの様子も映し出されていました
そして、テロリストたちは市民が警察に助けを求めることを想定し
スデロットの警察署が占拠されることになります
警察も殺され、二人だけが生き残り
しばらくテロリストたちが助けを求めてくる市民を殺してしまいます
そして、機能を失った警察署で無差別に殺戮を繰り返す状況で
政府はテロリストごと警察署を空爆するしか無くなりました
テロ被災地に行くまではやりすぎと思えたことも
テロ被災者や
テロリストと対峙し市民を守って奇跡的に生き残った警察官と対面すると
もしも、そこに自分がいて
家族や知人が無差別に殺され続けていく現実に遭遇したら
祈るだけで何もしないわけもなく
命を助けるためのアクションをしていただろうと被害者たちと思いを重ねていました
スデロットではシェルターの中でテロ被害者の方の体験談をお聞きし
空爆された警察署跡地で生き残った警察官の生の話を聞かせていただき
そして高台に移動しては
わずか2〜3キロほどに見える先に
黒い煙をあげて爆発している状況が目の当たりにできたのです
私は聖書的な神様の約束におけるイスラエル支援はしていますが
だからと言ってイスラエル人がみんな正しいとか
パレスナ人がみんな正しいとか
そんな二極化したことは言えるわけもなく
歴史と政治とそして聖書的な文脈で
現実に起きているテロからの戦争に対して
日本人としてイスラエルとパレスチナの両被害者の支援は
どうやったらうまくできるかとずっと考えるきっかけにもなりました
百聞は一見に如かず
安全な場所から中東を分析して
批判して
平和を祈っていても
やはり現場で現実を突きつけられての捧げる祈りと
なすべき支援のあり方は当然変わってくるのでした
しかしこのスデロットで日本でも同じことが言えると思えたのは
テロでも災害でも
予期せぬこと
また無差別にやってくる生死に関わる出来事は
いつも政府も地方行政も必ずしもうまく機能できるわけではないとうことです
スデロットは警察署が占拠されることで
市民が立ち上がって緊急事態を乗り越えなければなりませんでした
日本の災害時も同じです
被害状況の把握と政府、行政の現地到着までは
やはり市民が現地で臨機応変に対応しなければなりません
中東のテロや戦争は対岸の火事にして終わらせることもできますが
自らにそれを重ねるとき
自分の周りに起こる不測の事態に対して
何を学んで
どう備えるかイスラエル訪問初日の
まさに現場から
考えさえられた貴重な時間となりました
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