top of page
検索

エルサレムの平和のために祈る イスラエルレポート③

  • 執筆者の写真: アイラブジーザスチャーチ
    アイラブジーザスチャーチ
  • 2024年6月10日
  • 読了時間: 8分

更新日:2024年6月11日


エルサレムの平和のために祈るツアー


まさに文字通り最初のミッションはイスラエル大統領公邸での


イツハック・ヘルツォグ大統領との面談、交流でした


以下、招待された国際リーダーたちの集合写真と


日本からの声明文を提出、交流、日本からの提灯のプレゼントの様子





私が23歳でイスラエルに行くようになり今年で24年


初めのイスラエル渡航は留学や短期滞在の可能性を探り


2回目はハマスと会うことになり


それ以降はイスラエルを支援する様々な教会とツアーで同行する機会が増えました


そして前回2015年はエルサレムで政治団体を立ち上げるきっかけをもらうことになります


23歳の当時


イスラエルと末長く交流していく気持ちはあったものの


まさか2024年でイスラエル大統領とお会いする日が来るとは予想だにしていませんでした




エルサレムの新市街の中心には23歳の時に出会ってからずっと交流がある友人がいます

(写真左・五十嵐本人右から2番目)


その友人ともエルサレムで再会できたのですが


イスラエル大統領との交流が終わってからの再会となりましたので


あれから24年が経ったわけです


23歳の時にきっといつか友人もテロや戦争で


命の危険に遭遇するような時が来るかもしれない


であれば、その生きるか死ぬかの場面を経験するかもしれない友人のために


私ができることはイスラエルに住んで


そばで一緒にその困難を乗り越えるのでなければ


戦時中に民間人として渡航することは容易ではなくなるので


住むのでなければもう一つは


政治家としてイスラエルに来ることだろうと考えていましたので


まさか、2024年にクリスチャンの政治団体を立ち上げて8年目で


エルサレムの平和のために戦争中のイスラエルに


創設メンバー二人で揃って


イスラエル大統領に私たちのエルサレムの平和案を提案できるほどの


そこまでの想像力が豊かではありませんでした


さて歴史を振り返りながら


エルサレムの平和のために祈ることが


どのようにイスラエルとパレスチナの和平に重要なことかを考えていきたいと思います


世界の歴史ではホロコースト、すなわちユダヤ人大虐殺で


想像を超える苦しみと痛みの歴史の歩みを経て


1948年に聖書の預言を受け取ったイスラエルの人たちが


続々とイスラエルに帰って国家を再建することになります


イスラエル初代大統領がハイム・アズリエル・バイツマン


そして、ベン・グリオンが首相とそして就任したわけです




    ※写真はイスラエルの国会議事堂(クネセット)にある現物のコピーです


ここでシェアする写真はクネセットで説明を受けた


現イスラエルの国家建国の建国宣言(独立宣言文)と独立の際に


最初の政府の基礎となった人たちの署名です


第一次世界大戦中にイギリス政府によってバルフォア宣言が表明され


世界に離散していた


いわゆるディアスポラのユダヤ人(イスラエル人)たちが


テオドール・ヘルツェルに代表されるシオニズム運動でユダヤ人の故郷の再建を目指し


アーリアする、すなわち帰還する人たちが続々とイスラエルに移住するようになり


第二次世界大戦時にはホロコースト(ユダヤ人大虐殺)が発生し


ユダヤ人とアラブ人の関係性はより悪化し、激化して


パレスチナ分割決議がなされて


イスラエルは独立することになります


「エルサレムの平和のために祈る」


今テロがあるから


イスラエルとパレスチナの関係が難しいから祈るのではなく


これはダビデ王の時代、今から約3000年前から


ダビデ王が神様に祈りを捧げて来たように旧約聖書の詩篇の122篇に


それが書いてあるわけです


"人々が私に、「さあ、主の家に行こう」と言ったとき、私は喜んだ。


エルサレムよ。私たちの足は、おまえの門のうちに立っている。

エルサレム、それは、よくまとめられた町として建てられている。


そこに、多くの部族、主の部族が、上って来る。

イスラエルのあかしとして、主の御名に感謝するために。

そこには、さばきの座、ダビデの家の王座があったからだ。


エルサレムの平和のために祈れ。

「おまえを愛する人々が栄えるように。

おまえの城壁のうちには、平和があるように。

おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。」


私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。

「おまえのうちに平和があるように。」

私たちの神、主の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。"


詩篇 122篇1~9節


ソロモン王が建てた神殿が崩壊し


そして、バビロン捕囚後、ペルシャのクロス王時代にエズラとネヘミヤによって


いわゆる第二神殿が再建され


そして、ローマ時代にヘロデ王が第二神殿の拡張版で神殿を再建中に


ローマ帝国によるイスラエル崩壊を経験します


聖書の民ユダヤ人は異教徒たちとの暮らしの中で


ストイックな生活をしながら


神に従うことを求めますが


当然、それが受け入れらることもあれば


迫害されることもあります


イスラエルは西暦70年に国を失い


1878年間世界中に散り散りバラバラになって生活するようになるのです


そして、1948年を迎え


元々、ユダヤ人とユダヤ人以外の関係性で難しかったからこそ


自分たちの居場所を求めて


かつての故郷に戻り


今もなおその軋轢が生じたままであります


このイスラエルとパレスチナ問題は


いくつかの面からその仲違いを見ることできます


・人類の始まりのアダムとエバの子孫としての仲違い


・アブラハムの子 イサクとイシュマエルの兄弟喧嘩による民族間問題


・近代史における国家概念における政治的問題


・国際法と聖書の価値観における歴史理解や解釈の問題


この問題は


本質的には人間の罪が神と隣人の関係を壊してきましたが


歴史的、政治的にはその解釈の中で揺れ動きながら


そして、イスラエルを聖書的に見てどう捉えらるかということがあります


聖書にはメシアがエルサレムにオリーブ山に帰ってくることが描写されています


ユダヤ人は旧約聖書の真のメシアがこれから帰ってきて平和を治めると理解しており


クリスチャンたちは旧約聖書のメシアがイエスキリストであり復活したように再臨すると

その時を待っており


アラブ人でもイスラムの人達はイエスキリストの復活と昇天と再臨は信じており


エルサレムの平和は


真のメシアによって完全な平和が実現し、完成するというフィナーレを


それぞれのアングルで見ているわけです


新約聖書で


イエスキリストの弟子のペテロが書いた手紙は非常に大切なことを書き記しています


"愛する人たち。いま私がこの第二の手紙をあなたがたに書き送るのは、これらの手紙により、記憶を呼びさまさせて、あなたがたの純真な心を奮い立たせるためなのです。


それは、聖なる預言者たちによって前もって語られたみことばと、あなたがたの使徒たちが語った、主であり救い主である方の命令とを思い起こさせるためなのです。


まず第一に、次のことを知っておきなさい。

終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、

次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。

父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」


こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。

すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、

水によって成ったのであって、

当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。


しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。


しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。


主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。


しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。


このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。


そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。


しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。"


ペテロの手紙 第二 3章1~13節


現実社会は辛く厳しく悲しみがありますが


私たちが愛と平和と和解を選択するならば


そこには平和がもたらされていきますが


やはり人間には限界があります


人類はどれほど努力をしても


経済支援だけでも


民主化運動だけでも


国家間交渉だけでも


戦争や争いを完全に終結させることはできませんが


神の約束が真実であれば


神のことばの通りに世界はやがて平和が訪れます


しかし、それは人間誰かのやり方ではなく


天地を造られた神様の方法で完成するのです


私たちはその旧約聖書と新約聖書の総合的な視点からの


エルサレムの平和の完成の祈りと思いを


イスラエルの国家の元首に声明として


届けることができたのです


そして、キリストはエルサレムに新しい天と地を完成させますが


しかし、今は神様から与えられる聖霊によって


イスラエルとかエルサレムとか


特別な場所に行かないと祈ったり、礼拝することはできないのではなく


神様は今どこにでも呼び求める人と共にいるのです


エルサレムの平和を祈る


それは、神の約束と計画を確認する神のことばの真実さを知る


重要な役割を担っています


エルサレムの平和は


全人類の恒久の平和の完成に無視できない場所です


















 
 
 

最新記事

すべて表示
復活したイエスキリスト 主の名を呼ぶ者はみな救われる

神様の名を呼ぶだけで救われる? そんなことがあるのか? 旧約聖書のヨエル書にはこのようなことが表現されています "シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜り、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせて...

 
 
 
恐怖を克服する平和の鍵 キリストの完全な愛とは??

新約聖書のエペソの手紙の4章に それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。...

 
 
 

Comments


bottom of page